JUNKとFUNKと僕の遊言。

気取ったフリをした3歳児。くだらないことを、気の向くままに徒然と記していきます。あしからず。

光の裏側


光と影がある、そう
相まって、、、、


誰も見ていないからいいね。
今日は人生で初めて意識を失った


アホみたいにガラッと
気持ちいいくらいに人生が変わり初めて
限度の限度を通過したらしい


撮影中、グラッと
意識はそこまでで目覚めは現場の和室。


監督さん、助監督さん、スタイリストさん、美術さん


たくさんのひとに囲まれていた
とてつもなく嫌気が指して恥ずかしかった



がむしゃらに「頑張る」だけでは
人生よろしくないようだ。


痛い言葉をかけるひとは誰一人なく


無理させてごめんね。


そればかりだった。
暖かさに胸が苦しかった。


だから、頑張ることは今日で辞めにします。
いつでも良い具合を保てるように。
それをこれからのモットーにしようと誓いました。


身体も良い具合
性格も良い具合
言葉も良い具合


上手にやらな、あかんね。
どろんこになっていこーぜ
ひとつ学ばせてもらいました。



光には影がある
華々しさを増すほど、影も色を濃くする
それは忘れちゃならないもんです




全てにおいて、上昇期
良い具合にいこうね
振り落とされちゃいけないよ


ちなみに今は、撮影と打ち合わせを終え
自宅に戻ってきたところです。


新曲、ジャズファンク=ジャンク
そんなテイストで製作開始致しました。

たぶん、日本中の耳に届くはず
理由はいつか



頑張ろうっておもうね
やっぱりばかだね。少しずつ移行しましょう



言葉はおとなしいけど、いつも熱っぽいよ
ポジティブなんぞ、ボクはとっくの昔に超越している



みんなで手をつなごう
がんばるのは程々に
うまくやるんだよ

最高よりかは彩光がいい
あざやかに光ります


ひとりごとはたのしいものだ

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コレさいこう
はやいとこ、top hatを観に行こう




明日何が起こるかわからない、だから僕は生きる


「明日何が起こるかわからない」


誕生日のブログに、
書き記したその言葉。

朝起きた瞬間から、
言葉を身体に刻めよと言わんばかりに
人生がまた変わり始めた



立て続けにくる電話やメールに
ゾクゾクして、鳥肌がたって。



もしや半袖のせいか?と考え、
暖かくしても、変わらない



ウサギとカメのカメのように、進んでるのかさえ分からないような歩みで



いつのまにか、光の正体が
見えるほどまで進んでいたみたいだ



嬉しくって、喝が入る



チャンスまみれ。



こんな有難いことは、中々にない。
また嘘らしい人生に磨きがかかった




僕は僕の人生をいきる





僕は僕を信じるために
僕を疑い続ける



褒められたいんじゃなくて、
全うしたいんだ


隙は見せるなよ


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勝手にしてやる


22歳

22歳


あっちゅー間です。
誕生日おめでとう僕
産んでくれてありがとう母


誕生日、クリスマス、お正月、、
イベントが苦手なボクですが

今年はちょっと違うんだな


結局、寂しいから苦手だったんだろうね
でも、誰でも良くない


なんてワガママな!


在り来たりであり、在り来たりでない
幸せを噛み締めることのできる
歳となりました


ちょっと成長したね
ちょっと、ちょっとね


明日の分からない日々を
今日も生きています


分からないからこそ
面白いんだと、おもいます



東京と実家を行ったり来たり
歌って、書いて、描いて


映像作品にも今月2本
関わらせていただいて


歌ってだけのはずが、
広がる広がる、、予知不能です


自らの人生の足しになるならば
なんだって食うよ



そして肥えるよ



きみがいて、ボクがいて、
あの人がいて、あいつがいて、
道端でしゃがむおばあちゃんがいて、
小走りのサラリーマンがいて、
幼稚園に行きたくないと駄々をこねる子どもがいて、


見下すべき人は誰ひとりなく
それぞれがいるから、ボクがボクでいられる


ということを
最近本心で思います



今年こそ、東京に越すのだろうか
それはボクにゃわからない



1日1日をいただきます
うまくやるよ、大丈夫
だから、うまくやれよ


ようし。ようし。


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写真は妹がくれたメールです
イケてるよ、流石でしょ

ありがとう
これくらい、綺麗に笑って生きるよ

だれにどう思われようがお構いなし


まさに、言葉のまま。
だれにどう思われようがお構いなし





イヤなことは、イヤ
嫌いなもんは、嫌い

気ままに、ワガママに。
我ままに。







ボクは今21歳で
人間の平均寿命は80歳
あと60年の命さ




みんなそれくらいでしょ
サイボーグじゃあるまいし



ってことはね
何をしようと60年後には
大抵のことが消えてなくなる



ならば、
だれにどう思われようがお構いなし




我がママに生きなきゃ損々。



けど、だけどもね。
人の生きた証というのは
形として歴史として残すことが
できるんだよ




ほんの一握りの人間のみに
与えられた特権






だからボクはコレを手にする
手にして、残したいものがある





ボクの名前なんかどうでもよくて
リスペクトなんか、不必要で
そんなんじゃなくて





ボクはまだこの世に知れ渡っていない
素晴らしいモノのありかをしっている





コレを残さなきゃなんねえんだ



何が言いたいかは、
ちゃんと解ってよ。




美しきものへの欲求

昨日は雨が降っていたので、散歩に出た。
子ども気分でポケットには300円だけ。

 

 

 

誰も居ない道を我が物顔で歩きながら聴く
Bon liverとIzzy Stradlinは心地よいもの。

 

 

 

途中で立ち寄ったレコードショップで
BananaramaのLPを手に入れた。

 

ピッタリ300円の値段表記に感激。
欲しかったんだよ、ビーナス。

 

 

 

お年玉を使って、悩みに悩んで買った
初めてのCDを手にしたときの気持ちを思い出した

 

 

 

Amazing Grace

 

 

 

今も昔もいちばんのうた
イチバン聴いたろうし
イチバン歌ったろうし
イチバン弾いたろうし、、

 

 

 

それに続いて
The rose
what a wonderful world
my way

スタンダートナンバーだろうと
すきはすきね

 

 

 


美しきものへの欲求が
日に日に増している

そんな、気がする

 

 

 


5月に思い立って向かったVancouver
初の地 

 

 

 

ボクはありがたいことに
音楽、芸術、言葉を愛してきた人生の中で
10代のころから「日本語」を武器にして
ご飯を食べることが出来るようになったのだけど

そこは異国 ただの「日本語」は
「記号」と化して何も伝わらない

 


日本語を英訳しても、
伝えたい美しさは伝わらないのよ

日本語は日本語の美しさがあるの


ああ、まだまだ小さな世界でいきる
井の中の蛙でしかないのだと、痛感した

 

 


その反面あっちの音楽は素晴らしかったなあ
言葉なくとも楽しめる 素晴らしいものだね

イベントのスタイルもどんどん取り入れて行こう

 

 

 

 


さてさて、

会いたい人がいるときは、すぐに会わなきゃダメだ
やりたいことを思いついたら、その瞬間にやらなきゃダメだ

 

 

 

 


そうやって生きても、
人生はあまりに短すぎる

 

 

 

 


そう思う。

 

 

 

 

 

 


来月は映画の仕事に合わせ、
今イチバン会いたい人と会う

 

それでもって、Etta Jamesのピアノ・スコアが
そろそろアメリカから届く頃。

 

 

 

非常に楽しみである。

 

 

 


p.s.
今日はダンサー探し、良い人に巡り会えるといい。

写真は、秘密基地

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「Whant to」と「Have to」と「自由」の関係。

初めに。

恥ずかしながらボクは中学生程度の英語能力しか持ちあわせていない。

だから、コレは英語に係る文章ではないというコトを断っておく。

 

 

以前タイム・マネジメントに関する考えを書いた。

ボクは口癖といえるほどに「時間がもったいない」だとか

「それは本当に有効か」なんて言葉を口にする。

 

 

それは

常日頃、死を前提とした時間の捉え方をしているが故なのだが、

ネガティブな発想というよりかは、

現実的により効率的な充実した日々を送ってゆきたいという願望が強いからだ。

 

 

さてさて、前回の続きとなるが、

もしかしたら気分を害す人がいるかもしれないが

ボクから見て、

 

「逆に年がら年中忙しがっている人」

とは

「物事の優先順位がつけられない人」

 

だ。もったいない、非常にもったいない。

 

 

時間という単位は代えられやしないが、

その単位の中身を濃厚ないちごミルクのような

深いものにすることは出来るのに。

 

 

さてはて、本題。

 

 

 

「Whant to」か「Have to」か。

 

 

 

Whan toとは、

「~したい」という欲求

 

 

Have toとは

「~しなければならない」という義務

 

 

と定義して、

 

 

時間をより有効に、

それでいて楽しく使うためには

どちらを増やすのが効率的だろうか。という話。

 

 

 

 

ボクの価値観からする比率は

「Whant to」8:2「Have to」

 

 

義務ばかりでは、

時間に追われてしまう。

 

時間に追われてしまうということは

結論的にどういうことか。

 

時間より、自分のスピードが遅くなってしまう。

 

 

そりゃあかん、時間がないよ!やりたいことができないよ!

 

 

しかし、

欲求を中心とした時間の使い方ならどうだろう。

 

 

時間が、自分のスピードを追いかけてくることになる。

 

自分のスピードが勝っていれば、

もちろん時間には余裕ができる。

 

その余裕を、「Have to」に当ててしまおう。

という考え方である。

 

 

 

やらなきゃいけないことは、やらなきゃならないから

意地でもやろうとするでしょ。本当にやらなきゃいけなければ。

そして、不要ならきっとやらない。無駄が排除できる。

 

 

 

難しいのは、決して

「Whant to」のせいで、「Have to」をなくしてはいけないということ。

 

 

なぜなら、

 

「Whant to」やりたいこと

をする上で、「Have to」やらねばならぬこと。は必ず生まれる。

 

 

その「Have to」=やらねばならぬこと

を無視すると、「Whant to」=やりたいことが制限されるようになってしまう。

 

 

 

ボクらは自由を失うのだ。

そんなの、嫌だ。

 

 

 

たとえば

1.「Whant to」を達成するために、人の力を借りた

2.借りた力へお礼をすることは義務である「Have to」

 

 

こんな具合となる。

 

 

あとは、後回しもいけない。絶対にいけない。

後回しとは時間の借金であり、タイムマネジメント

思いっきり狂わせる原因となる。

 

 

最後に。

子供というのは、いっつも楽しそうだ。

それはなぜか。

 

 

それは、Have toではなくWant toで生きているからだ。

 

 

大人になれば、責任があるから「Have to」も少なからずこなす必要があるが、

「Whant to」をなくす必要はどこにもない

 

 

 

だって、ボクらは奴隷じゃない。

義務にがんじがらめにされる必要など皆無なのだ。

 

 

 

時間に操られるな、時間を操れ。

 

 

 

大人でありながら、子供でいるための秘訣。

 

 

 

 

 

 

「Whant to」 >「Have to」=「自由」

 

 

 

 

瞬間を楽しめる大人であれ。

 

 

 

 

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