「Whant to」と「Have to」と「自由」の関係。
初めに。
恥ずかしながらボクは中学生程度の英語能力しか持ちあわせていない。
だから、コレは英語に係る文章ではないというコトを断っておく。
以前タイム・マネジメントに関する考えを書いた。
ボクは口癖といえるほどに「時間がもったいない」だとか
「それは本当に有効か」なんて言葉を口にする。
それは
常日頃、死を前提とした時間の捉え方をしているが故なのだが、
ネガティブな発想というよりかは、
現実的により効率的な充実した日々を送ってゆきたいという願望が強いからだ。
さてさて、前回の続きとなるが、
もしかしたら気分を害す人がいるかもしれないが
ボクから見て、
「逆に年がら年中忙しがっている人」
とは
「物事の優先順位がつけられない人」
だ。もったいない、非常にもったいない。
時間という単位は代えられやしないが、
その単位の中身を濃厚ないちごミルクのような
深いものにすることは出来るのに。
さてはて、本題。
「Whant to」か「Have to」か。
Whan toとは、
「~したい」という欲求
Have toとは
「~しなければならない」という義務
と定義して、
時間をより有効に、
それでいて楽しく使うためには
どちらを増やすのが効率的だろうか。という話。
ボクの価値観からする比率は
「Whant to」8:2「Have to」
義務ばかりでは、
時間に追われてしまう。
時間に追われてしまうということは
結論的にどういうことか。
時間より、自分のスピードが遅くなってしまう。
そりゃあかん、時間がないよ!やりたいことができないよ!
しかし、
欲求を中心とした時間の使い方ならどうだろう。
時間が、自分のスピードを追いかけてくることになる。
自分のスピードが勝っていれば、
もちろん時間には余裕ができる。
その余裕を、「Have to」に当ててしまおう。
という考え方である。
やらなきゃいけないことは、やらなきゃならないから
意地でもやろうとするでしょ。本当にやらなきゃいけなければ。
そして、不要ならきっとやらない。無駄が排除できる。
難しいのは、決して
「Whant to」のせいで、「Have to」をなくしてはいけないということ。
なぜなら、
「Whant to」やりたいこと
をする上で、「Have to」やらねばならぬこと。は必ず生まれる。
その「Have to」=やらねばならぬこと
を無視すると、「Whant to」=やりたいことが制限されるようになってしまう。
ボクらは自由を失うのだ。
そんなの、嫌だ。
たとえば
1.「Whant to」を達成するために、人の力を借りた
2.借りた力へお礼をすることは義務である「Have to」
こんな具合となる。
あとは、後回しもいけない。絶対にいけない。
後回しとは時間の借金であり、タイムマネジメントを
思いっきり狂わせる原因となる。
最後に。
子供というのは、いっつも楽しそうだ。
それはなぜか。
それは、Have toではなくWant toで生きているからだ。
大人になれば、責任があるから「Have to」も少なからずこなす必要があるが、
「Whant to」をなくす必要はどこにもない
だって、ボクらは奴隷じゃない。
義務にがんじがらめにされる必要など皆無なのだ。
時間に操られるな、時間を操れ。
大人でありながら、子供でいるための秘訣。
「Whant to」 >「Have to」=「自由」
瞬間を楽しめる大人であれ。