JUNKとFUNKと僕の遊言。

気取ったフリをした3歳児。くだらないことを、気の向くままに徒然と記していきます。あしからず。

「時間がない」という言葉は己の恥となる

「忙しい」「時間がない」が口癖の人は

本当に忙しく、時間がないのだろうか。

 

 

 

僕からしてみるとタイムマネジメントが下手くそなようにしか見えない。

一日のスケジュールを頭の中で構築し、上手く使え。

 

 

 

一日は24時間しかない。

そして、僕らの寿命は80歳が平均だ。

 

 

僕らは生まれた瞬間から限りある時間の中で過ごすことになる。

だからこそ、自らの使用する時間を洗練されたものにしなければならない。

 

 

毎日くだらないツイートをする時間は必要か? 

 

ぼーっとお菓子をたべている時間は? 

 

誰かを憎ましく思う時間は?

 

答えはNOである。要らない。必要ない。あくまで僕にとっては。

 

 

必要なものをきちんと選択し、それ以外は排除する。

残ったものを全力で愛す。

 

 

後悔なく生きよとは、こういうことだと

常々思っている。

 

 

 

最後に、一つ。

 

 

 

「今すぐに君の願いをひとつかなえてあげよう」

 

 

 

こんな、夢のような事が起きたら君は何を願う?

 

 

 

 

 

 

そして、この意味は自分で考えて欲しい。

 

 

 

 

 

 

自分の本心に忠実であれ。

 

 

 

 

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正直者は馬鹿をみるという嘘。

正直ものは馬鹿をみる。という嘘。




正直者は馬鹿をみる



なんて、嘘つきの言葉だ。
という、僕の持論。




先程
「生きることに潔癖すぎる」
と、真っ正面からの意見をもらったが、、




それがなんだっていうんだい
悪いかい、文句あるかい
僕は僕を汚したくなどない。




故の、ひとこと返事

「だからなんだっていうんだ」




価値観を他人に、委ねるつもりは1mmもない。




また、その逆も然り。




価値観を他人に押し付けるつもりも1mmもない。





限りある人生の中で
中々に無駄なものだ。





正直者は馬鹿をみる




という言葉は、
正直者から出た言葉ではないだろう




きっと賢くズルい人間が、
正直を馬鹿にして、、いや。

妬んで吐いた言葉かもしれない。





僕は自称、正直者だが、、
損をしたことはない。




もちろん、途中地点で悔しい思いをしたことはあるが、結果大成功である



正直者は馬鹿をみると、いう嘘。




僕は、正直者が好きです。



不器用、社会不適合、
などと卑下をされながら


表面は笑い、
内面ではいまにみてろと、やり抜くのですから、



真に格好が良いものです。





馬鹿にできるのは今のうちだ
うさぎとカメじゃカメが勝つ。


正直者は馬鹿をみるという嘘。





僕なりの正直は、


自分に胸を張って生きられるか?



という問いに、
YESと答えられること。



そんな今日の遊言でした。




さてさて、
日野皓正さんのアルバムを聴きながら眠りにつこう。昨日聞いたレコードも、べらぼうに良かった。ダイナミック、、且つ繊細な矛盾が心地よい。


ps.
先日、素晴らしきパフォーマンス能力を持つ高校生に出会いました。幼き顔付きが、ステージに上がるとキリッと変わる。空気を変えるパワーを持っていました、見事です。プロフェッショナルな、16歳、これからが楽しみ。面白いものをたくさん見せてあげたいし、僕自身が学ぶこともたくさんあるだろう。学んでばかり、幸せな人生です  。

ありがとう。cheers!


子供の笑顔は、純ですな。
素敵。

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誰かのためにとお陰様。




「だれかのために」なんて嘘っぱちだと、云う人間がいる。



だれかのため=自分のため



という価値観もある。



僕自身、
何かをしたときは水に流し貰った恩は心に留める



といった、考えである故
それに納得するといえば、納得する



でも。
「だれかのために」が総じて嘘かといえば、そうじゃないはずだ。




言い方、聞こえ方に語弊があるのか「だれかのため」は恩着せがましいなどと言われがちだが、、




そういった、価値観を破壊したい。と、今日は考えた。




だれかのために=あなたのおかげで



と感じ取ってみては、どうだろう。




「だれかのために」
「自分のために」



どちらの意味も持ち合わせつつ
非常に語弊のない、暖かい言葉になるのではなかろうか、





例えば


大切な人が困っていた
ちょっと手をさしのべた

あなたを大切に思うから
僕はこういった気持ちを持つことができた





そんな解釈で見てみれば、
とても暖かい気持ちになれると。そんな気がしている。






卑屈になるな、





卑屈になるな、






いつも、だれかのためで
日々が、おかげさまである。



おかげさまという日本語
お陰様と書くでしょう。



「陰」



見えないところに、
感謝を込める言葉。


良いじゃない。なんて。
長らく気に入っている言葉のひとつです。


切り口ひとつで
世界など軽々と一変するのだ。


四面的なつまらぬ人間にならぬよう、僕自身が誰よりもがんばらなければいけないね。



そう。今日は
新幹線で700kmもはるばると
10代の頃からの友人がやってきました。


理由を聞いて驚くよ


とあるスポーツをしている妹の指導をしに。

それだけのために、
来てくれたのです。



友のため、大事な人のため
ならあるかもしれない、



けれど、友の家族のため



は中々無いのではなかろうか。
まさにこれこそ。



「だれかのために」



そのものでした。
ありがとう、ありがとう





故に、今日は僕なりの「だれかのために」についてを、改めて考えてみたのです。




押し付けがましいとか、そんなものばかりじゃないぜ!




と感じたのです。しんみり。



卑屈になっちゃ、
大事なことを見逃してしまうよ!




僕の愛すべき友人たちは、
みんなそんな奇想天外な、暖かい人間ばかりです。



ラッキー。
なんてね。ありがたいです。






さて、

数少なき、僕の愛すべき
BAD GIRL  BAD BOY



ひとりひとりの存在が、
お陰様です。存在してくれて、出会えたことが嬉しいと、心より思います。



会わなくとも話さなくとも
日々、成功ばかり祈っています、




なんて、伝わっていれば
嬉しいね。







ああ、渋谷の交差点は、
むちゃくちゃに混雑しているけど、

この中にも、とびきりの人間が
隠れているかもしれないよ。


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僕は1度だけ、、
見つけたことがある。

想像は創造できる。

Think different
Here’s to the crazy ones.
The misfits. The rebels. The troublemakers.
The round pegs in the square holes. The ones who see things differently.

They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can’t do is ignore them.

Because they change things. They push the human race forward. And while some may see them as the crazy ones, we see genius.

Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.



クレージーな人たちがいる。

反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。

四角い穴に、丸い杭を打ち込むように物事をまるで違う目で見る人たち。

彼らは規則を嫌う。
彼らは現状を肯定しない。

彼らの言葉に心をうたれる人がいる。反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。


しかし、彼らを無視することは誰にも出来ない。


なぜなら彼らは物事を変えたからだ。


彼らは人間を前進させた。
彼らはクレージーと言われるが、
私たちは彼らを天才だと思う。

自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから。







僕の好きな文書のひとつ。
Apple社の宣伝に使われた
今は亡きCEOのメッセージである。


「Here’s to the crazy ones」


自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから。



この言葉に、嘘はない。
あくまで、僕が生きてきたちっぽけな21年の中では。の話だが、、




僕は信じている、
大切な家族、友人たちの未来を。

そして、僕自身の未来も。


文句や言い訳は死んでからで十分じゃないか。今日もまた、未来がひとつ変わったことを、この言葉の証明とする。



友人の喜びに、
同じように胸が踊った。


ただ、もうひとつ
再認識したことがあったんだ、


それは、喜びや幸せの裏には悲しみや無がある、ということ。


タイミング違いさと、
笑い飛ばす勢いをもちつつ
僕も少しばかり苦しい


しかし、悲しみで無になった友もまた世界を変える一人であるから心配はしていない



どんなことがあろうと
希望に向かってゆく、他ないよ。
きれいごとではない。


だってほら、どこだって、
苦しい道ばかりだ、ね、そうだろう。



その苦しさをも光の一部にするために僕らは生きてゆくのです。



強く、強く、光れるのは
懸命に努力してきた人だけ。




にしても、多くの人が忘れている。



「想像は創造できる。」



ということ。




子供のころの僕らは


今よりももっとずっと
立派だったんじゃないかい?



なんて、



そんなことを、ふと考えてしまった。



みんな!まだ間に合うぞ!
子供に戻れ!



想像は創造できる。

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原点に戻るということ。

向こう見ずな、夢や希望が。
他人に指を差され笑われてしまうような事柄が。

時として、大きな成功の因となる。


ということを、僕は知っている。


人生はイージーじゃない。
悲しいこと、苦しいこと、悔しいことの連続だ。

期待など持たなければ、
一瞬の幸せも知らなければ、
僕らはこういった感情に囚われることもないのだろう。

だが、期待や幸せは 
希望と夢の親戚なのだ、、


故に僕は。
求め続けることを辞められない。



悲しみ、苦しみ、悔しさの中で
確実に得てきた、未来への切符の切れ端を少しづつ繋ぎ合わせてゆくのだ、


もつれそうな足でも、
走れるぞ、歩けるぞ、進めるぞ


ゴールテープを切る前に
立ち止まる姿ほど無様なものはない。


精進。

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